ブログ童話館アートメルヘン ルノアールとゴッホ「ゴッホがゴッホに成った訳」


ほとんど無名で若くして亡くなったゴッホは、 (ゴッホの葬儀には、タンギー親爺のほかに、 ベルナールやリュシュアン、ピサロなどが参列したそうです) そのままであったならきっと忘れ去られた画家として 終わっていたでしょう。
世界のゴッホとしてその名を轟かせています。 それは、ゴッホが真に絵画に対して真摯に向き合って いたと言う事実も有るでしょうが、無名の画家であった ゴッホを「自らの命をかけて芸術に向かい合った類まれなる、 画家ゴッホ」として世に広めた人の功績も多大にあるのです。
テオは精神に錯乱をきたし(ゴッホとテオの間にあった絆を強く感じます) 1891年1月25日ユトレヒトの入院先の病院で最大の 理解者であって唯一の理解者でもあった弟のテオが亡くなり ました。その事は、ゴッホがこの世から忘れ去られてしまう 事でもあったのです。
それどころかゴッホは、世界のゴッホに成ったのです。
の存在が一番大きいのであります。
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